クライシスはチャンスだわ

V6寄りふんわり事務所担のブログ

「二十日鼠と人間」感想と考察

三宅健くん主演舞台「二十日鼠と人間」、10月21日の東京公演を見に行ってきました。感想と考察です。

 

まず一つ……会場に入る前に気がついたこと。

東京グローブ座には初めて行ったんですが、その時やってる公演(今回だったら二十日鼠と人間)のポスター以外にも、次の公演のポスターとかフライヤーとか並んでるんですね。

セピア調の「二十日鼠と人間」のビジュアル。どこか切なげな雰囲気すら醸し出す三宅健くん。

 

 

…の横に飾られた、まるで一昔の邦画のようなフォントと並ぶ満開笑顔の濵田崇裕さん(市場三郎〜グアムの恋〜)。

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いや雰囲気!!!!(濵ちゃんは何も悪くない)

 

会場内に置かれていたフライヤーもあったのですが(周囲の濵田担のために複数枚頂いた)、やはり健ちゃんのファン層とはあまり被ってはいないらしく、周囲の方には「へえこの子もジャニーズ?」と言われていました。頑張れ濵ちゃん。

 

そんな風に濵ちゃんにちょっと和まされながらも、会場に入るとすすき?のような薮のセットがあり、二十日鼠の世界観に入っていきます。座席は1階のかなり後ろの方だったんですが、グローブ座のキャパが小さいこともあり、普通に見やすかったです。お隣の方が「距離感、高校の文化祭って感じだね〜」と仰ってたのを「それな…」と思いながら聞いてました。

 

さて、劇が始まりました。私にとっては去年の10月22日(おおほぼちょうど1年前だ)、TheONESのオーラス以来の生健ちゃん。

 

お顔がいい。

 

え?世の中にこんな美しい人がいる?ってシンプルに思いました。顔を顰めても、乱暴な言葉遣いをしても、薮をナイフで切り刻んでも顔がいい。あまりにも顔がいい。やはり1年に1回は生の健ちゃんを見なくては細胞が死んでしまいますね。

 

とまあ最初はやはり健ちゃんありきで見ていましたが、ストーリーが続くにつれて、ジョージとレニー2人の夢が、農場の人々を巻き込み、どこに行き着くのか、ということが気になってきます。

 

健ちゃん演じるジョージは、頭の回転が早く、知能が子どもで止まっているレニーの世話を一方的に焼いているようにも見えます。しかし、ジョージがスリムにレニーのことを話す場面などから、実はジョージにとってもレニーは大切な存在だということが分かります。

これは私の解釈ですが、ジョージにとってレニーが大切だったのは、「自分たちの農場を持つ」という夢がジョージとレニーの2人で見た夢だったからではないかと思うのです。

ジョージとレニーが他の登場人物と最も違うところは、明確な夢を持っているというところです。そしてその夢を語らう時、「普通の労働者はかすかな稼ぎをギャンブルや娼婦、酒に使って無駄にしてしまう。でも俺たちにはお互いがいるから、夢が見られる」(以下、台詞はニュアンスです)ということを毎回言います。レニーにとってもそうだったと思いますが、何よりジョージにとって、夢を持っているということは日々を生きる支えになっていたのではないかと思います。そして、その夢を叶えるためにレニーと一緒に働き、時にはレニーのやらかしをカバーすることさえも、ジョージの生きがいになっていたのだと思うのです。

また、カーリーの妻が「話相手がほしい」と男性陣に度々絡んでくることや、クルックスの「話す内容なんてどうでもいい、要はみんな誰かに話を聞いてほしいんだ」という台詞からも、「人間はみな孤独をかかえているという作者の世界観が窺えます。そういった意味では、基本的に自分1人で生きるしかない労働者でありながら、2人で行動し夢を共有するジョージとレニーは、この世界観において最強の存在です。それでは、最強の2人はその友情でもって素敵な夢を叶えられるでしょうか?

 

元々、2人の夢は金銭面からするとかなり非現実的なものでした。しかし、働き始めた農場で出会ったキャンディに、レニーがうっかり夢のことを話してしまいます。すると、キャンディはその夢に自分も入れて欲しいと頼んできます。実はキャンディはかなりのお金を貯め込んでいて、キャンディが協力してくれると、2人の夢は現実にかなり近づきます。ほかの仲間も加わり、これはいよいよ2人の夢が実現するのではないかな、と私も思いました。

しかし、レニーが農場のオーナーの息子であるカーリーの妻を、その強すぎて加減のできない力で誤って殺してしまいます。当然、カーリーは激怒し、農場の労働者とレニーを撃ち殺そうとします。ここで、ジョージはレニーを庇って2人で逃げ出すのかなと私は思いました。途中まで、レニーを殺すのでは無く檻に入れて隔離することを提案しますし。そして、実際スリムの手回しにより、2人で逃げることもできない状況ではなかったのではないかと思います。

しかし、ジョージはそうしませんでした。レニーに2人の夢を語りながら、レニーは最後の瞬間まで自分のことを心から信じていることを理解しながら、泣きながら、レニーを射殺します

なぜ、ジョージはレニーを殺したのでしょうか。

それは、キャンディの犬のエピソードがあったからではないかと思います。

観劇された方には分かるでしょうが、キャンディがずっと飼っていた老犬が出てきます。その犬は最早自力で動くこともできず、力なく鳴くことしかできない存在です。その老犬は、「いっそ殺してやった方が、そいつにとっても幸せだ」とほかの労働者に殺されます。そして、キャンディは「自分が手を下してやるべきだった」と後悔します。これはかなり序盤に出てくるエピソードで、一見ジョージには関係ないようなエピソードにも感じますが、実はジョージに大きな影響を与えていたのではないでしょうか。

なぜジョージはレニーを殺したのか。レニーが足でまといだったとか、レニーの起こすトラブルに巻き込まれて嫌になったとか、そんなことは絶対にない、というのは、劇を見ていた人にはあまりにも自明なことと思います。

ジョージは、レニーにとっての本当の幸せとは何か、ということを考えたのだと思います。ただ、それが本当に幸せだったかどうかは、レニーにしか分かりません。ジョージにだって、分かりません。

しかし、ジョージは、レニーを撃ち殺すことによって、夢と相棒の両方を失った、というのは間違いないでしょう。

そして、なんと言っても健ちゃんの演技。レニーを殺すなんてできない、でもレニーのためを思うなら撃つべきだ、と葛藤する心情が嫌という程伝わってきます。ジョージは、一度は撃つのを躊躇うんです。声も涙声で、本当に自分も泣きそうになりましたし、周囲の客席からは鼻をすする音が聞こえました。

ちなみに今回の舞台、タバコの炎や川の水など、本物の炎や水を使っています。銃からも本物の火花が散るのが見えました。音もすごく大きくて、その臨場感たるや。

あと、どこにも挟むべきところがなかったのでここに書きますが、レニーからジョージへもかなりの思い入れがあったことが分かります。レニーは実のおばの名前は忘れても、ジョージの名前は忘れません。記憶のキャパシティが少ないレニーが覚えていることは、全てがジョージの言葉です。そして、「ウスノロだけど、優しい」と評されるレニーが、例え話だったとしても「ジョージが殺されたら…」という話を聞くと逆上します。

……こう考えると、やっぱり、レニーはジョージに殺されて幸せだったかもしれませんね。

考えれば考えるほど、ジョージとレニーにはお互いに深い…なんて簡単な言葉では表せないほどの愛情があり、それがあったからこそのあの結末だったのではないかと思います。

 

……うーん、しんどい。

個人的に一番何がしんどいかって、3回目のカーテンコールで章平さんが健ちゃんをお姫様抱っこしたんですよね。それがこう…2人の幸せを……見てるようで………………しんどい…………

健ラヂによると、あれは演出の鈴木さんのアイデアなんですね…なんという…

 

しんどかったけど、しんどいからこそ本当にいい舞台だったと思います。いや、正直あんまストーリーには期待してなかった(オイ)のでいい意味で裏切られた気分です。

 

メインの2人もめちゃくちゃ良かったけど、スリムとかシンプルにかっこよかったしカーリーの妻も元宝塚の方だけあってお顔も声も可愛くて感動しました。

 

あ〜…本当に良かった…ありがとうジョン・スタインベック…ありがとう健ちゃん…ありがとう鈴木さん…

 

小説も映画も見たいけど舞台の記憶を上書きされたくないという矛盾を抱えながら今日も生きます……

 

この素晴らしい舞台が、千秋楽まで無事に演じられますように。